慣性の法則
外から力を受けなければ、物体は静止または等速直線運動を続ける。
Science essay · Physics
なぜ日食の時刻は予測できるのか。天体の未来が計算できるなら、私たちの未来まで決まっているのか。皆既日食を入口に、物理法則と決定論を考えます。
日食の予報は「必ず当たる予言」です。占いではなく、現在の状態と運動法則から計算で導かれるからです。では、その計算をどこまでも押し広げたら——天体だけでなく、原子でできた私たち自身の未来まで決まってしまうのでしょうか。この読み物は、2009年の皆既日食を入口に、ニュートン力学から「ラプラスの魔物」と呼ばれる思考実験へ、そして決定論を揺るがした量子力学へと、一歩ずつ進んでいきます。

Solar eclipse
2009年7月22日、日本の一部で皆既日食が見られました。日食が起こる場所や時刻は、なぜ事前に詳しく計算できるのでしょうか。
2009年7月22日の例:上の時刻は、2009年7月22日の日食について当時紹介した例です。皆既食帯や現象の特徴は、国立天文台暦計算室の資料でも確認できます。
日食のしくみ自体は単純です。新月の月がちょうど太陽の前を横切るとき、月の影が地球に落ち、影の帯の中に入った土地から太陽が欠けて見えます。ただし新月は毎月来るのに、日食は毎月は起きません。月の通り道は太陽の通り道に対して約5度傾いているため、二つの道の交差点近くで新月を迎えたときだけ、影が地球に届くのです。つまり日食の予報とは、太陽・月・地球という三つの天体が「いつ、どこにいるか」を割り出す計算にほかなりません。では、その位置はどうして秒単位の精度で計算できるのでしょうか——なぜ、こんなに正確にわかるのでしょうか。その鍵を握るのが、次のニュートンの三つの法則です。
Newtonian mechanics
天体の運動を理解する入口として、ニュートンの運動の3法則を確認します。
外から力を受けなければ、物体は静止または等速直線運動を続ける。
質量 × 加速度 = 力。力が運動をどのように変えるかを結び付ける。
二つの物体が及ぼし合う力は、大きさが等しく向きが反対になる。
三つの法則は素朴に見えますが、ここに万有引力の法則を組み合わせると、天体の運動は「解ける問題」になります。運動方程式は、いまの位置と速度がわかれば次の瞬間の位置と速度を与える式です。これを未来へ向かって積み重ねれば、任意の時刻の太陽・月・地球の位置が計算でき、三つがほぼ一直線に並ぶ瞬間——日食——も、影の落ちる場所ごと割り出せます。
冒頭の問いの答えはここにあります。日食の日時が正確にわかるのは、天体の運動が少数の法則に従い、その法則が「現在の状態から未来を一意に導く」形をしているからです。そして予報が何十年も繰り返し的中してきた事実そのものが、法則の確かさの何よりの検証になっています。なお、実際の高精度な日食予報では、精密な観測データと詳細な天体暦・計算モデルが使われます——このページで見たのは、その計算を支える骨格です。では、この成功をどこまで信じてよいのでしょうか。話を天体から、私たち自身へ広げてみます。
Determinism
月・地球・太陽の未来を計算できるなら、分子からできている私たちの未来も計算できるのでしょうか。次の思考の連鎖をたどってみます。
「現在の状態と法則がすべて分かれば、未来も一つに決まる」という考え方を決定論と呼びます。自分の人生が映画のフィルムのようにすべて決まっていて、私たちはそれを順に体験しているだけだとしたら、どう感じるでしょうか。
ここで一つ、区別しておきたいことがあります。「原理的に決まっている」ことと「実際に計算できる」ことは別問題です。天体でも三つ以上の体が引き合うと一般には解けなくなり(三体問題)、多くの系では初期値のごくわずかな違いが時間とともに急速に拡大します——いわゆるカオスです。長期の天気予報が難しいのはこのためで、決定論的な法則と予測の不可能性は、矛盾なく同居します。それでも、計算できるかどうかとは別に、法則そのものに偶然の入り込む余地がないのなら、「決まっている」こと自体は揺らぎません。この居心地の悪さを一体の思考実験へ凝縮したのが、ラプラスの魔物です。
Laplace's demon
湯川秀樹『湯川秀樹自選集 第四巻 創造の世界』には、ラプラスが描いた決定論的な世界像の説明があります。ここでは長文を引用せず、その要旨を整理します。
私たちは、宇宙の現在の状態を、それに先立つ状態の結果として、そして続いて起こる状態の原因として見なければならない。ある知性が、与えられた一瞬において、自然を動かすすべての力と、自然を構成するすべての存在それぞれの位置を知っているとしよう。さらにその知性が、これらのデータを解析にかけられるほど広大であるならば、宇宙で最も大きな天体の運動も、最も軽い原子の運動も、同じ一つの式のうちに包み込むだろう。その知性にとって不確かなものは何ひとつなく、未来は、過去と同じように、その眼前にあるだろう。
Nous devons donc envisager l'état présent de l'univers comme l'effet de son état antérieur, et comme la cause de celui qui va suivre. Une intelligence qui, pour un instant donné, connaîtrait toutes les forces dont la nature est animée et la situation respective des êtres qui la composent, si d'ailleurs elle était assez vaste pour soumettre ces données à l'analyse, embrasserait dans la même formule les mouvements des plus grands corps de l'univers et ceux du plus léger atome : rien ne serait incertain pour elle, et l'avenir, comme le passé, serait présent à ses yeux.
ラプラス『確率についての哲学的試論』(1814年)より。原文はパブリックドメイン、日本語訳は当サイト。
この「知性」に、のちの人々があだ名をつけました——ラプラスの魔物。日本では物理学者・湯川秀樹も、この考え方を次のように紹介しています。
現在のあらゆる物質の配置と速度を知り、全物質系の運動方程式を解く能力をもつ超越的な知性には、未来がすべて見えている。人間が未来を知らないのは、情報収集能力と計算能力に限界があるからだ、という考え方。
湯川秀樹によるラプラス的決定論の説明の要旨
魔物は「実在するか」を問う存在ではなく、決定論を極限まで推し進めたらどうなるかを映す鏡です。要点は、私たちが未来を知らない理由を「能力の限界」の側に置いていること——裏を返せば、原理の上では未来はすでに一冊の本のように書き終わっている、という世界像です。この描像に最初の本質的な亀裂を入れたのが、20世紀の量子力学でした。
「占い」ではなく、自然法則と計算によって自分の未来まで示す存在だとすれば、たしかに「魔物」と呼びたくなるかもしれません。
Toward quantum mechanics
20世紀に量子力学が誕生すると、決定論をめぐる問いは新しい段階に入ります。原子や電子の世界を精密に記述するこの理論は、それまでの物理学と決定的に違う性質を一つ持っていました——まったく同じ状態から出発しても、個々の測定結果は確率でしか予言できないのです。これは観測技術や情報の不足のせいではなく、理論の骨格そのものです。
ここで、ラプラスの魔物の土台が崩れます。魔物は「原理的には未来は一意に決まっている。人間が知らないのは能力の限界のせいだ」という前提の上に立っていました。ところがミクロの世界では、その「原理的に一意」がそもそも成り立たない——どれほど完全な知性でも、次の測定結果を言い当てることはできません。
もっとも、天体のような巨視的な運動ではこの不確かさは実質的に効いてこないため、日食予報の確かさは少しも揺らぎません。確実に予測できるものと、原理的に確率でしか語れないもの——世界にはその両方があります。決定論・カオス・量子測定の関係は奥深い主題で一ページでは語り尽くせませんが、日食という「必ず当たる予言」から出発したこの読み物のゴールは、この線引きを知ることでした。
数式で量子力学の中身へ進みたい方のために、続きの一冊と関連資料を挙げておきます。
Sources
引用について: 湯川秀樹の説明(著作権保護期間中)は長文引用を避けて要旨を記し、書誌情報を示しています。ラプラスの原文(1814年)は著作権保護期間が満了しているため、原文と当サイトによる日本語訳を掲載しています。